最高の生き方

人として最高の生き方

 

 

 

感情を司る人間として産まれてきたこと

自分自身を自分の力で向上させることができる人間に産まれてきたこと

 

 

 

 

 

人間としての最高の生き方

 

 

 

 

 

 

心が喜ぶことをしよう

 

 

 

 

 

 

忙しいとか

何をしたら心が喜ぶかわからないとか

そんな言い訳はやめて

 

 

 

 

 

 

自分に愛を与えよう

 

 

 

 

 

 

いつも頑張る貴方に最高の愛を

 

 

 

 

 

自分に愛を与えることが心の喜びだから

 

 

 

 

自分自身を愛することができれば

 

 

 

 

自分以外の人にも自然と愛を与えられる

 

 

 

 

愛の連鎖

 

 

 

 

ひとりひとりがいつもより人に優しくできれば愛の連鎖はいろんなところでおきていく

 

 

 

 

 

 

自分に最高の愛を与えよう

 

 

 

 

代々…

先日私は実親との…

私と娘との間での 解決すべき課題 について書きました。

 

 

 

またその事に触れていきたいと思います。

 

 

 

 

 

そもそもなぜ私が自分の過去を振り返ろうと思ったのか…

 

 

それは以前も書いたかもしれませんが…

 

 

自分に対する自信の無さや、

周りからの評価を必要以上に気にしてしまう

 

 

 

そんな自分を見つめ、そんな自分から変わりたいと願ったからです。

 

自分でもよくわかってるんです。

最初は自信をもち、勢いよく進んでいます。

 

でも

いつも同じパターンで

急に自信がなくなり、人からどう思われるか、どう評価されているかが不安になり。

なにも起きていないけど、起きるかもしれないと不安材料を見つけては、起きてもいない問題にエネルギーを費やしてしまう。

 

大体このパターンです。

 

また冷静に保とうと思い直しますが…

 

一度頭をよぎった不安というのは、頑固で。

その呪縛から簡単には逃れることができません

 

 

 

なぜ私はそんなにもネガティブな部分があるのか?なぜそんなに自信がもてないのか?

と考えたときに…

 

 

自己肯定感の低い、自己愛の低い自分がすべてのネガティブな意識、思考の根源であると気づきました。

 

 

ではいつから自分を肯定する力が弱まり

自己防衛のためのエゴが強まったのか

 

 

それが幼い頃、

大人の顔色を伺い過ごし 

言いたいことを言わない

相手の顔色を伺い 

相手に好いてもらえるように 

自分自身を繕っていた

 

 

 

幼き頃の自分がいた事をはっきりと認識しましした。

 

 

 

私が自分の人生ではじめて

嫌われたく無い心から、可愛がってもらいたい一心から 自分を偽り 思ってもいないことを口にした日をはっきりと思い出しました。

 

 

 

何歳だったかはっきりとはわかりません。

まだ未就学児でした。

 

 

私は父方の祖母と一緒にいました。

 

 

父方の祖母は

顔にシワが多く年齢よりもずっと老けて見えるおばあちゃんでした。

 

 

母方の祖母は

母を若くして産み美人で どこにいっても若いおばあちゃんだね。と言われるおばあちゃんでした。

 

 

私は母方の祖母には可愛がってもらい、

私も母方の祖母には素直に甘えることができていました。

 

 

父方の祖母は

私たち姉弟と

いとこの姉弟をとてもひいきしていました。

いとこの姉弟を可愛がっていました。

母と義理母が合わなかったのです。

母は義理母からいびられ、嫌味を言われ続けながら

 結婚生活を 私たちの育児 をしました。

幼い頃から母からそう聞かされて育ちました。

 

私は幼心にも

父方の祖母は

私の事は可愛くないんだ

私よりいとこのお姉ちゃんのことが可愛いんだと思っていました。

 

 

そんなふうに父方の祖母を見る私が、ある日父方の祖母と二人でいました。

祖母は言いました。

 

あんたのお母さんのばあちゃんは若くてキレイだけど、ばあちゃんはキレイでもないし、あんたのお母さんのばあちゃんは若くていいなぁ~。

 

 

なぜそんなふうに言ってきたのかは、今考えてもわかりません。

いつも母に対してきつい言い方をする祖母でした、強い怖い祖母だと思ってました。

そんな祖母でも、自分は劣っていると思う弱さがあったのか…

だから祖母に似てキレイな顔立ちの母にもきつくあたったのか?

もしかすると嫉妬や劣等感からくるいびりだったのかもしれませんね。

 

 

 

そのように私に話す祖母に向かって

私は

生まれてはじめて お世辞 を言いました。

 

 

 

そんな事ないよ。

ママのばーちゃんより、ばあちゃんのほうが若いよ。

 

 

 

祖母は

そんなことあるわけない。

おかしなこと言う子だ。と呆れたように言っていました。

 

でも顔は笑っていました。

しわしわにシワをよせて はにかみながら

笑っていました。

 

少しは嬉しかったんじゃないかな?

って 今 思い出しながら思いました。

 

 

 

父方の祖母はそのような人でした

父方の祖母といる時は 

嫌われないように 少しでも可愛がられるように いつも気をはって過ごした気がします。

 

 

 

そんな母親を父もまた嫌っていました。

でも嫌っていた母親の姿に、父もまた似た部分をもっています。

 

 

 

不機嫌に怒鳴り散らしたり

罵声を浴びせる父を見て

祖母を嫌っていてもこういうところそっくりだ。血は争えないね。 

と母が私に耳打ちします。

 

 

 

そして私もまた両親の嫌いな部分が

自分自身のなかに似た性質があることを自覚しています。

 

 

 

嫌いなのに

自分のなかに似た部分 同じ部分があるから

その自分が面に出たあとは

しばらく自己嫌悪に陥ります。

 

 

 

でも過去を幼い頃の自分をしっかり見つめ直すことができたから…

今までと違った 課題の見つめ方 クリアに近づくための取り組みができそうな気がします。

 

 

 

 

大嫌いな両親の姿を

幼い頃の自分ではなく

あの頃より大人になった今の自分が

はっきりと見つめ直したこと 

幼い頃の自分を見つめ直したことで

また新な感情や思考が生まれ、そのひとつひとつを存分に味わいつくしました。

 

 

大嫌いな両親の姿

目を背けたくなるような過去の出来事

 

 

確かにそれらがあった事 

それは事実で

そんな出来事が

私の人格を作り出すことに大きな影響を与えたことも事実

 

 

 

でもそれだけじゃない。

家族で幸せな一時を過ごした思い出だって沢山ある。笑顔で過ごした時間、互いを想い合い過ごした時間だってちゃんとある。

 

 

 

思い返してみたら

ネガティブとしかいいようのない出来事も沢山あったし、沢山見せられてきた。

 

ひょっとしたらそのような出来事が多目の家族だったかもしれない(笑)

 

 

だけど、両親の波瀾万丈なドラマを見ながらも

そこから少しずつ時間がかかっても、絆が強くなっていくそんなシーンを見て、そこに自分も交えてこれた。

 

 

両親は昔に比べたら

喧嘩もしなくなったし、

父が母に手をあげるようなことはいっさい無くなった。

時間がかかったかもしれないけど…

確かにここには成長した両親の姿がある。

 

 

だから私は感謝すべきなのかもしれない。

 

 

二人の大人が成長していく姿を一番近くで目の当たりにできたのだから

 

 

両親が出会っていなければ

私の命もこの世に生まれてくることはなかった

 

 

今まで私の人生に起きた沢山の出来事も

なにより愛しい我が子達の母になれたことも

心から愛する人に出会えたことも

試行錯誤しながら生きられていることも

 

 

 

すべてのはじまりは

両親から産まれてくることができたから

そして両親が産まれてこれた祖父母の存在

その前にも

もっともっとその前にも先祖の存在があるから

 

 

ありがとう

 

 

過去についた傷があるからとか

親から受け継いだ傷があるから

とかじゃなくて

私は自分の力でその傷を癒していくよ

その傷をもう誰かが受け継ぐことがないように

努力してみるね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

新月の日

本日は新月

新月は新たなスタートの日

願いや目標を立てる日

 

 

 

私は今夜何を願おう

 

 

 

 

いつも願っていたいこと

いつもそれは決まってる

 

 

 

 

 

私が新たな一歩を踏み出せるように

 

 

 

 

 

また願おう

目標をたてよう

 

 

 

 

 

 

あなたはどんな事を願いますか?

どんな目標をたてますか?

 

 

 

 

新月のパワーが

皆様の愛に降り注ぎますように

幼少期

幼少期ってやはり大事ですね。

 

 

 

みつごの魂百までも

といいますが…

本当にその通りだな。と思います。

 

 

 

 

まさに今日自分が体験することで実感しました

 

 

 

 

今日ね、何度注意しても注意されたことを実行できない娘に私は怒っていたんです。

私は口が悪いのでキレるとすぐに口が悪くなり言い方もきつくなります。

 

 

 

 

そんな私の声が

私の父に聞こえたようで

ドア越しに

私の名前を怒鳴りつけ、子供に対してそういう口の聞き方をすんな!

と怒鳴られました。(笑)

 

 

 

 

いや。あなたもまんま同じだよ。

 

と思いながらも

 

うるさいな!とドア越しに私も言い返しました。

 

 

 

 

その瞬間

一瞬で涙が溢れ出しました。

 

 

 

 

子供に見せるのは嫌で。

トイレに駆け込み 止まらない涙に

どうにもできず ただただ泣きました。

 

 

 

 

いろんな感情が込み上げてきて

 

 

 

 

私もはじめからきつい叱り方をしたわけではないけれど、

またきつい叱り方を繰り返してしまった悔しさ

 

一部しか聞いていないくせに

自分だって同じような育て方をしてきたし、

今私に怒鳴ってているくせに

私の子育てに口を出してくる父への苛立ち

 

今が大事

すべての事は自分自身の思考と選択で捉え方を変えることができる

 

なのに

また大事な家族へ 感情的になってしまった事…

 

 

両親との間でできた溝は 

こういう時にまたはっきりと形を表してしまう。

何かあると怒鳴る父

どんなに不甲斐ない事でも、大抵見て見ぬふりをする母(笑)

 

そしてまた私自身が娘との間にもその溝を作りうるという事。

 

 

 

落ち着きを取り戻し…

 

 

娘に話をしようとすると

また涙が出てしまい…

情けない姿を娘と息子に見せてしまいました(笑)

 

 

 

でも今日は、叱るときの言い方が悪かったことを素直に娘に謝ることができました。

そして1度か2度言ったら、その場でママに言われたことを行動してほしいと話しました。

 

 

息子は涙を流す私を心配していましたが…

娘はきょとんとした顔で私を見ていて…

少し泣きながら話してしまったけど、私の話がちゃんと娘の心に届いたのか……??疑問です。

 

 

 

父には結局謝れていません。

 

父には今でも本音をさらけ出すことはできません。

腑に落ちないことに反発はできても…

自分がどう感じているのか、

どう思っているのかを伝えることができずに…

いつでも父の顔色を伺ってしまう私がいます。

 

本当はそこを解決しなければいけないのだろうけど…

私も私の弟も今だに父に言いたいことを言えない。 そのような傾向があります。

 

 

私も幼い頃は父に甘えたり

父が大好きだったのに

 

いつから埋めることのできない溝ができたのかな…

 

 

幼少期小学校の3年生より前の記憶はほとんど無い…

というか両親が共に揃っていた記憶がほとんど無い…

 

 

三年生以降の記憶はところどころ残ってる。

 

 

両親が怒鳴りあったり、とっくみ合いになって殴り合ったり、母の顔に大きなアザができた事もあった。

 

 

私が小学生の頃の両親はよく喧嘩してた。

喧嘩もかなり激しかった。

 

 

泣きながら

大きな声をだして両親の喧嘩を止めようとしていた。自分をはっきりと覚えている。

 

今までその頃の事を思い出す事はなかったけど、最近過去の自分の傷を見つめ直そうとして思い出したくない過去をはっきり見つめました。

 

 

両親が揉めていた時

二つ下の弟と八つ下の弟は、その時何をしてたかな?

一緒に泣いていたかな?

 

 

 

何気ないことで顔色ががらっと変わり大きな声で怒鳴り散らす父が大嫌いだった

勝てるわけないのに

負けじと父に向かっていく母が大嫌いだった

 

大嫌いだった二人の

大嫌いだった姿を

自分が受け継いでいる

 

中学に入り、私も反抗期がくると

家に帰ることはほとんど無くなりました。

 

 

友達の家に泊まったり

彼氏の家に泊まり込み

本当にほとんど家には帰りませんでした。

 

 

彼氏と喧嘩をすれば殴り合い

友人を巻き込み喧嘩したこともよくありました

 

その時の私と当時の彼氏は

大嫌いな自分の両親の姿と同じでした。

 

 

たまに家に帰れば

家に帰らない私に父は怒鳴りつけていました。

 

 

叱られるのなんて当然の事だけど…

 

 

帰ってこいとしつこく説得されるわけでもなく

ただ怒鳴りつける事のほうが圧倒的に多い父に

踏み込んだ話をしてこない母に

ろくに会話もない空間に

家に私がいても、いなくても、対して変わらないと ただただ反発していました。

 

 

 

 

大嫌いな姿をした両親と

同じような姿をした自分を経験してきました

 

 

 

今はだいぶ落ち着いた

だいぶ大人になれた

 

 

 

負けん気で男に噛みつく所はだいぶ無くなった

 

自分は女だから、どうしたって男の人にはなれないし。かなわない部分があり、それぞれの役目があることを理解したから、偉そうに同等だと思い文句を言ってきた自分の姿を改め直し

父親として大黒柱として社会で働いてくれている主人に対し心から感謝できるようになった。

 

 

 

 

主人に対しては直せたのだけれど…

子供たちに対して感情的になった時。

口調の悪さが、なかなかなおらない。

 

 

先日も書いた 課題 です。

 

 

 

勿論子供を怒らないという事ではないし、

 

間違ったことを正していく事は親として当然のこと

 

 

 

ただ

感情に流されてしまう叱り方を直したい。

 

 

 

できるだけ冷静に伝えられるように

 

娘が母になった時、

自分のような叱り方をする母親にはなってほしくないな。と思う。

 

 

うちの家族は

受け継がなくていいところを

代々受け継いできたんだな~(笑)

 

 

娘の目に自分がどんな母親として写っていたのか…いつか聞ける日がくるのかな…

聞くのがちょっと怖いけど…(笑)

 

 

今から少しずつでも努力努力。

 

 

娘が

大人になったとき

私のように

埋められない溝に傷つかないように

 

 

 

私と娘

ここのところなぜか以前のように書く意欲が湧いてこず、なかなか更新できずにいました。

 

 

 

そんな私に、私の愛読ブログから今の自分に最適な記事をいただき、今書いています。

 

 

 

 

 

私のなかの 無気力や無力感 恐れや不安 そういったものは、根強く。

自己肯定の低さですね。

弱い自分になかなか勝てずにいます。

 

 

 

自分が納得していればいい。

やりたいと思うことを積極的にできていればいい。と思う反面で…

自分のしていることは意味を成しているのか?

届いているのか?

本当に自分にはそのような誰かの心に残したり、届けたりできるような力があるのか?

と自分を肯定することのできない弱さに無力感といったものが襲ってきます。 

 

 

 

 

そんな私がまた私と同じような人間をこの手で育て上げている気がします。

 

 

それは娘の事。

 

 

娘は心の優しい子に育っていると思います。

他人の事を自分の事のように考えられる心をもっています。

大きくなるにつれて社会に対する柔軟性も備わってきています。

マイペースな部分がありますが、それが娘自身にとっても娘が他者を見るときにも多少の緩みがあり良い働きをしているのだと思います。

ただ自己肯定は低いと思います。

私の子育ての仕方に問題があるんだと痛感しています。

私の自己肯定の低さの原因は幼少の頃自分に当てられたもので、それはおそらく私の父、父がたの祖母から受けたものです。

 

また父自身も、父の母(私の祖母)から幼少期から受けたものです。

 

母もまた母の母(私の祖母)から受けたものです。

 

私は母からは自己を否定するような言葉はあまりかけられた記憶はありません。

母自身も幼少期に祖母からそのような言葉を受けてきたために同じ子育ての仕方は絶対にしないと心に決めていたそうです。

 

 

父は冗談から本気まで、そのような言葉を今でも浴びせてきます(笑)

 

 

私は同じことを自分の娘にもしてしまっています。

勿論フォローもするんですが…

一度浴びせた言葉は、そのあといくらフォローしようが、浴びた方の心にはきっと残ります。知らず知らずのうちにも、親子関係以外でも、相手がいる場面にその傷が大きく作用します。

 

 

 

それが私だから。

 

 

きっと娘もそうです。

 

 

娘との関係は

 

 

私が両親との間に、両親が各々の母親との間に抱えたもの、そのままが写し出されている気がします。

人は合わせ鏡だといいますよね。

 

 

そして娘との関係

私が向き合い、変えていかなければいけない課題、カルマといわれるものなのではないかと思っています。

 

 

 

 

頭では反省しても、

毎日といっていい程起こる同じような場面で

同じような言葉を発してしまう。

 

 

 

 

ここを変え、変わることができたら、娘とも穏やかな愛の時間を過ごせる。

 

 

 

私が親から受けたもの、

親が親から受けたもの、

それらを私と私の子供との間で解消するべきなんだと思います。

 

 

 

 

正直難しい気がします。

私は口が先に出てしまうタイプなので…

でも努力してみようと思います。

 

 

今日の自分は

今日の自分には 花丸をあげよう

 

 

今日は朝からバタバタバタバタ色々あったけど

 

 

なんかいい日だった

 

 

 

今日は なんかね 沢山の人に会った

色んな人に会って

色んな話をした

挨拶をしただけの人

少し話をした人

色々話した人

 

 

 

 

別になーんにも特別なことなんてしてないんだけど…

日常なんだけど…

いい日だった

 

 

 

 

今日会った人達は、慣れ親しんだ友人ではないんだけど

知り合いという感じの人達ばかりだったけど

 

 

人と言葉を交わすとか

同じ空間を共有するのってなんか幸せ

一緒に笑いあったりすること 楽しいなぁ~

 

 

 

 

バタバタしたから普段なら

はぁー疲れた。

で終わってしまいがちなんだけど

 

 

 

楽しいいい日になった

なんだか嬉しい一日でした

 

想い

今回はツインの分離ステージを進んでいる方や愛する人の帰りを待っている方むけに

素直に受け止めたことで私自身の救いになった言葉を紹介したいと想います。

 

 

はじめに

私も相手がツインだという確証はありません。

再び再会できる確証もありません。

それでも愛してやまない彼への想いに、会うことのできない現実に悲しんでいた時。

このメッセージを受け取り

自分宛の励ましのように感じ、心が軽くなりました。

 

 

今どうしようもなく寂しくて辛い想いをされてる方がいらっしゃったなら…

この言葉を信じてみてはいかかでしょう?

 

 

 

愛する人がいなくてあなたは悲しく感じ、すぐにはもとの幸せな気持ちにはなれません。

しかし、悲しみを紛らわす何かを考えてみましょう。

愛する人がいないことを考えるのではなく、

一日たつごとに彼が帰ってくる日が近くなることに焦点を当てるのです。

するともう悲しくありません。

少しは気持ちが沈んでいるかもしれませんが。

彼は、あなたと離れていることによってあなたに感謝する機会を与えられていることに気づくと、沈んでいた心が穏やかになるでしょう。

彼のいない人生は最高とは言えないまでも、そんなにも悪くないなと思えるようになります。

そしてあなたは元気になります。

彼はあなたと離れている今も

成長し、学び、そして楽しんでいることでしょう。あなたも同じようにできます。

そして再び再会したときには楽しい自分の体験や学びを話し合うこともできるでしょう。

その上沈んでばかりはいられません。

友達と一緒に外出して楽しい時を過ごしましょう。あなたは大笑いし、幸せに感じます。

時間はあっという間に過ぎ去り、あなたの愛する人は帰ってくるのです!

そして祝いなさい。

あなたの波動にあった音楽をかけ、あなたを幸せにしてくれる色で周りを飾りなさい。

あなたの身体にあったよい食べ物を食べなさい。毎日があなたの最高、最上の波動にあった現実を創造する良い機会です。』

 

 

 

私はこのメッセージを受け取り、素直に信じてみようと思いました。

 

そうすることで、寂しさ、辛さばかりが目立っていた自分の心を軽くすることができました。

 

 

 

 

生きている上で色々な感情を抱くのが人間です。

すべての感情に二極があり

喜びがあれば悲しみもある

いつも楽しいことばかりなら良いのですが、

時には悲観的に過ごしてしまう時期もありますよね。

 

 

 

そんな時には なにかを信じて前に進んでもいいのではないでしょうか?

 

 

 

 

この先の未来がどうなるかなどいくら考えても知ることはできませんよね。 

ですから逆を言えば

未来の可能性は無限にあるんです。

 

 

 

 

つまずいてしまったことや、目の前の現実に起きた不安や悲しみに心を囚われつづけるのではなく…

なにかを信じて、まずは、そこから立ち上がる事が大切なんだなと思いました。

 

 

 

そんな事言われなくてもわかってる。

と頭では理解していても…

実際辛い現実やこんなはずじゃなかったと思うような事が起きてしまった時…

尽きることの無い不安に心がいっぱいになってしまう人が多いのではないかとおもいます。

 

 

 

 

その不安は一度感じきることも必要だと思います。

一度感じきったら

まだ起きてもいないこの先への"不安の連鎖"に怯えるのではなく…

今できることを、ひとつずつ進めていく。

それこそが自分の未来を拓いていく唯一の方法

 

 

 

私たちは自分自身の思考で現実をも引き寄せています。

良いものも悪いものも全て自分自身の思考こそが引き寄せているそうです。

否定的なことに意識を当てると、あなたの軸はそのつど下がり、あなたの状況を悪くする一方です。

 

 

 

 

不安の連鎖に怯えたり、最悪の場面を考えはじめたら、その事に気づき少しでも良い方向に考えるようにしてください。

 

 

 

 

 

自分の敵は自分自身なんです。

自分の心がものごとをどう捉えるか。

自分だけが唯一ものごとの捉え方を決めることができるのです。

 

 

 

 

私の行動

仕事

健康

が私の周りの世界にどのように反映しているのだろうか?

私の周りの世界を変えるには自分はどうしたらいいのか?

変化と行動をイメージし、それが現実になるようにしてください

 

 

このような行動を起こしてこそ、私たちの望む世界を実現する道が開かれ、真の悦びを引き寄せる道を開くことができます。

 

 

 

私もより良い未来を迎えるため、

そして"今"を楽しんで生きるためにその選択をしたいと思います。

 

 

 

 

光と愛ある道を信じて

 

大切な家族に

大切な人達に

大切な自分自身に

 

 

大切な"今"に目を向け 歩いていこう