代々…

先日私は実親との…

私と娘との間での 解決すべき課題 について書きました。

 

 

 

またその事に触れていきたいと思います。

 

 

 

 

 

そもそもなぜ私が自分の過去を振り返ろうと思ったのか…

 

 

それは以前も書いたかもしれませんが…

 

 

自分に対する自信の無さや、

周りからの評価を必要以上に気にしてしまう

 

 

 

そんな自分を見つめ、そんな自分から変わりたいと願ったからです。

 

自分でもよくわかってるんです。

最初は自信をもち、勢いよく進んでいます。

 

でも

いつも同じパターンで

急に自信がなくなり、人からどう思われるか、どう評価されているかが不安になり。

なにも起きていないけど、起きるかもしれないと不安材料を見つけては、起きてもいない問題にエネルギーを費やしてしまう。

 

大体このパターンです。

 

また冷静に保とうと思い直しますが…

 

一度頭をよぎった不安というのは、頑固で。

その呪縛から簡単には逃れることができません

 

 

 

なぜ私はそんなにもネガティブな部分があるのか?なぜそんなに自信がもてないのか?

と考えたときに…

 

 

自己肯定感の低い、自己愛の低い自分がすべてのネガティブな意識、思考の根源であると気づきました。

 

 

ではいつから自分を肯定する力が弱まり

自己防衛のためのエゴが強まったのか

 

 

それが幼い頃、

大人の顔色を伺い過ごし 

言いたいことを言わない

相手の顔色を伺い 

相手に好いてもらえるように 

自分自身を繕っていた

 

 

 

幼き頃の自分がいた事をはっきりと認識しましした。

 

 

 

私が自分の人生ではじめて

嫌われたく無い心から、可愛がってもらいたい一心から 自分を偽り 思ってもいないことを口にした日をはっきりと思い出しました。

 

 

 

何歳だったかはっきりとはわかりません。

まだ未就学児でした。

 

 

私は父方の祖母と一緒にいました。

 

 

父方の祖母は

顔にシワが多く年齢よりもずっと老けて見えるおばあちゃんでした。

 

 

母方の祖母は

母を若くして産み美人で どこにいっても若いおばあちゃんだね。と言われるおばあちゃんでした。

 

 

私は母方の祖母には可愛がってもらい、

私も母方の祖母には素直に甘えることができていました。

 

 

父方の祖母は

私たち姉弟と

いとこの姉弟をとてもひいきしていました。

いとこの姉弟を可愛がっていました。

母と義理母が合わなかったのです。

母は義理母からいびられ、嫌味を言われ続けながら

 結婚生活を 私たちの育児 をしました。

幼い頃から母からそう聞かされて育ちました。

 

私は幼心にも

父方の祖母は

私の事は可愛くないんだ

私よりいとこのお姉ちゃんのことが可愛いんだと思っていました。

 

 

そんなふうに父方の祖母を見る私が、ある日父方の祖母と二人でいました。

祖母は言いました。

 

あんたのお母さんのばあちゃんは若くてキレイだけど、ばあちゃんはキレイでもないし、あんたのお母さんのばあちゃんは若くていいなぁ~。

 

 

なぜそんなふうに言ってきたのかは、今考えてもわかりません。

いつも母に対してきつい言い方をする祖母でした、強い怖い祖母だと思ってました。

そんな祖母でも、自分は劣っていると思う弱さがあったのか…

だから祖母に似てキレイな顔立ちの母にもきつくあたったのか?

もしかすると嫉妬や劣等感からくるいびりだったのかもしれませんね。

 

 

 

そのように私に話す祖母に向かって

私は

生まれてはじめて お世辞 を言いました。

 

 

 

そんな事ないよ。

ママのばーちゃんより、ばあちゃんのほうが若いよ。

 

 

 

祖母は

そんなことあるわけない。

おかしなこと言う子だ。と呆れたように言っていました。

 

でも顔は笑っていました。

しわしわにシワをよせて はにかみながら

笑っていました。

 

少しは嬉しかったんじゃないかな?

って 今 思い出しながら思いました。

 

 

 

父方の祖母はそのような人でした

父方の祖母といる時は 

嫌われないように 少しでも可愛がられるように いつも気をはって過ごした気がします。

 

 

 

そんな母親を父もまた嫌っていました。

でも嫌っていた母親の姿に、父もまた似た部分をもっています。

 

 

 

不機嫌に怒鳴り散らしたり

罵声を浴びせる父を見て

祖母を嫌っていてもこういうところそっくりだ。血は争えないね。 

と母が私に耳打ちします。

 

 

 

そして私もまた両親の嫌いな部分が

自分自身のなかに似た性質があることを自覚しています。

 

 

 

嫌いなのに

自分のなかに似た部分 同じ部分があるから

その自分が面に出たあとは

しばらく自己嫌悪に陥ります。

 

 

 

でも過去を幼い頃の自分をしっかり見つめ直すことができたから…

今までと違った 課題の見つめ方 クリアに近づくための取り組みができそうな気がします。

 

 

 

 

大嫌いな両親の姿を

幼い頃の自分ではなく

あの頃より大人になった今の自分が

はっきりと見つめ直したこと 

幼い頃の自分を見つめ直したことで

また新な感情や思考が生まれ、そのひとつひとつを存分に味わいつくしました。

 

 

大嫌いな両親の姿

目を背けたくなるような過去の出来事

 

 

確かにそれらがあった事 

それは事実で

そんな出来事が

私の人格を作り出すことに大きな影響を与えたことも事実

 

 

 

でもそれだけじゃない。

家族で幸せな一時を過ごした思い出だって沢山ある。笑顔で過ごした時間、互いを想い合い過ごした時間だってちゃんとある。

 

 

 

思い返してみたら

ネガティブとしかいいようのない出来事も沢山あったし、沢山見せられてきた。

 

ひょっとしたらそのような出来事が多目の家族だったかもしれない(笑)

 

 

だけど、両親の波瀾万丈なドラマを見ながらも

そこから少しずつ時間がかかっても、絆が強くなっていくそんなシーンを見て、そこに自分も交えてこれた。

 

 

両親は昔に比べたら

喧嘩もしなくなったし、

父が母に手をあげるようなことはいっさい無くなった。

時間がかかったかもしれないけど…

確かにここには成長した両親の姿がある。

 

 

だから私は感謝すべきなのかもしれない。

 

 

二人の大人が成長していく姿を一番近くで目の当たりにできたのだから

 

 

両親が出会っていなければ

私の命もこの世に生まれてくることはなかった

 

 

今まで私の人生に起きた沢山の出来事も

なにより愛しい我が子達の母になれたことも

心から愛する人に出会えたことも

試行錯誤しながら生きられていることも

 

 

 

すべてのはじまりは

両親から産まれてくることができたから

そして両親が産まれてこれた祖父母の存在

その前にも

もっともっとその前にも先祖の存在があるから

 

 

ありがとう

 

 

過去についた傷があるからとか

親から受け継いだ傷があるから

とかじゃなくて

私は自分の力でその傷を癒していくよ

その傷をもう誰かが受け継ぐことがないように

努力してみるね