私と娘

ここのところなぜか以前のように書く意欲が湧いてこず、なかなか更新できずにいました。

 

 

 

そんな私に、私の愛読ブログから今の自分に最適な記事をいただき、今書いています。

 

 

 

 

 

私のなかの 無気力や無力感 恐れや不安 そういったものは、根強く。

自己肯定の低さですね。

弱い自分になかなか勝てずにいます。

 

 

 

自分が納得していればいい。

やりたいと思うことを積極的にできていればいい。と思う反面で…

自分のしていることは意味を成しているのか?

届いているのか?

本当に自分にはそのような誰かの心に残したり、届けたりできるような力があるのか?

と自分を肯定することのできない弱さに無力感といったものが襲ってきます。 

 

 

 

 

そんな私がまた私と同じような人間をこの手で育て上げている気がします。

 

 

それは娘の事。

 

 

娘は心の優しい子に育っていると思います。

他人の事を自分の事のように考えられる心をもっています。

大きくなるにつれて社会に対する柔軟性も備わってきています。

マイペースな部分がありますが、それが娘自身にとっても娘が他者を見るときにも多少の緩みがあり良い働きをしているのだと思います。

ただ自己肯定は低いと思います。

私の子育ての仕方に問題があるんだと痛感しています。

私の自己肯定の低さの原因は幼少の頃自分に当てられたもので、それはおそらく私の父、父がたの祖母から受けたものです。

 

また父自身も、父の母(私の祖母)から幼少期から受けたものです。

 

母もまた母の母(私の祖母)から受けたものです。

 

私は母からは自己を否定するような言葉はあまりかけられた記憶はありません。

母自身も幼少期に祖母からそのような言葉を受けてきたために同じ子育ての仕方は絶対にしないと心に決めていたそうです。

 

 

父は冗談から本気まで、そのような言葉を今でも浴びせてきます(笑)

 

 

私は同じことを自分の娘にもしてしまっています。

勿論フォローもするんですが…

一度浴びせた言葉は、そのあといくらフォローしようが、浴びた方の心にはきっと残ります。知らず知らずのうちにも、親子関係以外でも、相手がいる場面にその傷が大きく作用します。

 

 

 

それが私だから。

 

 

きっと娘もそうです。

 

 

娘との関係は

 

 

私が両親との間に、両親が各々の母親との間に抱えたもの、そのままが写し出されている気がします。

人は合わせ鏡だといいますよね。

 

 

そして娘との関係

私が向き合い、変えていかなければいけない課題、カルマといわれるものなのではないかと思っています。

 

 

 

 

頭では反省しても、

毎日といっていい程起こる同じような場面で

同じような言葉を発してしまう。

 

 

 

 

ここを変え、変わることができたら、娘とも穏やかな愛の時間を過ごせる。

 

 

 

私が親から受けたもの、

親が親から受けたもの、

それらを私と私の子供との間で解消するべきなんだと思います。

 

 

 

 

正直難しい気がします。

私は口が先に出てしまうタイプなので…

でも努力してみようと思います。