思考
他人軸で生きてきていたことに、なんとなく気づき始めた頃。
相手が自分をどう思っているのか?
そればかり気にしている自分にきづきました
彼からも愛を感じた気がしていて、てっきり同じ想いをもってくれていると思っていた私は思わぬ玉砕に…
私が感じていた彼からの好意の用に思える行動は、ただの思い過ごしだったのだか?
それとも少しでも愛はあったのか?
それともこれ以上親密になる訳にはいかない。と理性をきかせた答えだったのか…
そればかりが気になった…。
きっぱり断られたのに…
自分でもそんな事気にしても仕方ないとは思ったが…
沢山の運命を感じていただけに簡単には納得できなかった…
自分の望んでいたものと現実がちがったからといってすぐに嫌いになったり、諦めたりできるような気持ちなら。
バカみたいに告白なんてしなかった…。
彼に幸せでいてほしいから彼が望まないのなら、これ以上しつこくまとわりつくような真似をするつもりは一切無かったが…
好きでいることは自由だよね、それだけは許してください。と心の中で神様に想いを告げていた。
それでも
彼は私に対してどのような気持ちをもっていたのだろう?
という問いは頭の中を占領してやまなかった。
他人軸 自分軸 という軸の事を知らなかったら、もしかしたら今でもそのような気持ちでいたかもしれない。と本気で思います。
占いに必要以上に頼ってしまったのも。
誰かに自分と彼のことを認めてほしかった。他人から肯定してもらい安心したい。
そのように他人から肯定してもらいたい。と思う気持ちが強すぎたためだと思います。
この事に対して…
他人の想いや考えについては、いくらあなたが考えても、そしてまたあなたがこうであってほしいと求めてもそれは相手が決めることなので考えていても答えはでない。
という事を私の救いとなったブログで知りました。
一見簡単な当たり前の事のように思えるのですが…よくかんがえてみると私の思考の多くが他人軸になっているということに気づきました。
例えば
彼に愛してほしい。
彼のした行動は好意だと思わせるような行動だった。
だから彼はもっとちゃんとした言葉で私と向き合うべきだ。
彼に対しては 感謝 しかなかったので…
そう攻める気持ちはありませんでしたが…
例えとするなら…と書かせていただいています。
相手に求めたり、相手のことを決めつける。
でも他人がどう思いその行動をとっていたかなどその本人にしかわからないし。
1人1人考え方も違うので、どの感情でどのように行動するかは、相手側の事ですよね。私が自分の枠で考えていても仕方の無いことだったんです。
彼だけに限りません。
主人のことも家族のことも同じです。
主人なんだからこうあるべきだ。
とか
家族なんだからこうあるべきだ。
と思っていることも
他人が自分の求めるようにしてくれていたら満足でそうでなければ不満だ。
という他人軸なんです。
相手が自分の事を満たしてくれない限り、ずっと満足できずにいる。
ということになるんです。
でも先ほども述べましたが…
相手が私に対してどのような行動をするかなんて、相手と私がどのような関係性であっても相手が決めることですよね。
ですから、相手の行動次第で自分の心が左右されるようでは、いつまでも自分の真の幸福を見出すことはむづかしくなってしまい、実は自分の周りにどんな時にもある幸福。
それを見落としてしまいやすくなるんです。
自分の考え方を少し変えていくと今までの角度とは違う角度から物事を見ることができます。
他人軸と自分軸について、できるだけ分かりやすい伝えていきたいと思います。